社会復帰概論

むずかしいです

家族

初めて一人で映画を見ることにした。表題は『万引き家族』。他は何も知らない。どこかの映画賞を獲ったことくらいか。小説を選ぶ時と似た感覚。表題から心というか、精神に重くのしかかってくる感覚。それを大切にしたかったから、作品紹介を見るのはやめておいた。


一人で観てよかった。この重苦しい感覚はあまり他人と共有できそうにない。家族とは何か、そうした漠然とした疑問が自分の身上と相俟って鈍く僕を押さえつけた。


家族の意味や形は曖昧である。

戸籍上の繋がりか。親子が愛し合っていることか。子が自立出来るまでの親に対する責任か。あるいはただの親のエゴか。

どれが現実なのか、どれが正しいのか僕には皆目見当がつかない。なんなら、どれも間違っている気さえする。

現実における僕は、自分の家族に対して、そのどれも見えなかった。感じられなかった。そのせいでこんな重苦しさを感じているのだろう。


いままで、自分が親不孝な行為をしたことこそあれど、その逆はなかった。適切に僕を躾け、好きな生き方を選ばせてくれた。虐待を受けたこともないし金銭的にもそんなに困っていない。だが、深い愛を注がれていたこともまた僕には見えていなかった。

明確な原因とか起点はない。ただゆっくりと僕はそれを思い出せなくなってしまっていた。


強いていうなら、僕が年子の兄弟の兄に産まれてしまったことだろうか。ちょうど一歳と半年になったとき、僕は兄として機能しなくてはならなくなった。

それから、8歳を迎えるその少し前には母が脳卒中で倒れた。僕は介護者としても機能しなければならなかった。

それらには、あらゆる我慢が伴った。当時から愛されている家族の一員、というよりは家族を支える側の人間という感じが常につきまとって苦しい時もあった。仕事に慣れてくるのと同じで、家族における僕の機能も次第にそれが当たり前だと思うようになっていったが。

こういう経緯があってのことなのかは知らないが、僕は母に抱きしめられた記憶がない。もとい母が倒れる以前の記憶がまるまるない。忘れなければやっていけなかったのだろうか、寂しいものだ。


今はもう母も亡くなり、僕も大学を出れば独立せんという時期になってしまった。

僕が家を出たとき、僕と父は家族でいられるのだろうか。互いに全ての機能が不要になってしまって、それ無しで向かい合うことができるような気が、僕はしない。