社会復帰概論

むずかしいです

回送

最寄駅、向かいのプラットホームに電車が停車した。
えらい長く停まっているなあ、と思ってふと見上げると、向かいの列車は不意に見たこともない行先をいくつも表示したあと、回送の二文字を吐き出した。
あぁ、羨ましいな、と思った。
彼は使命を与えられ、それを全うし、そして今眠りにつかんとしているのだ。文字通り敷かれたレールの上を走り、死ぬまでずっとそうしていられたのだ。いかに楽な人生、もとい鉄生だったろう。

自由というのは自由であり、同時に不自由でもある。
確かに、今自分の下にレールは敷かれていない。膨大な数の選択肢が自分には与えられているだろう。ただ、レールのないただの更地を列車は走ることは出来ない。

僕は列車だったのだ。

定められた道を上手く走ることができた人物。ただそれだけであって、僕は決して自由に生きることを得手としてはいなかった。それに今気付いてしまったのである。線路の上を揚々と走っておきながら、それが無くなるまで道路も走れると勘違いしていた列車である。愚かしい話だ。


自由を縛るものはなにも外的なものばかりではない。自らで自らを縛り付けてしまうということもある、というか僕の場合はほぼ全部それである。もしかしたらそんな束縛を他の誰もかけようとはしていないのかも知れないが、誰かに縛られているような気がするのだ。

しんどい生き方やなぁ、と我ながら思う。だが21年生きてきて今更電車を辞めて歩行者として生きていくことなど僕にできようはずもない。乗せてもらえるレールを探して車庫で眠れる日が僕に来るだろうか。