社会復帰概論

むずかしいです

エレクトロハーモニクス

 

「死ぬかと思ったことはあるか」

そう聞かれて私は戸惑った。反射的に、そんなの私にあるわけがない、と思ってしまった。その問いを発した人は経験があるからそう問うたであろうのに。それでも、その瞬間、問いの真意が私には分からなくて、暫し口を噤んだのち、「うん…ないかな…」などと曖昧に濁してしまった。くれられた一瞥は睚眥のようにさえ思えた。

死に迫られたことはないが、死に迫ったことならある、ということを口にしようとして、やめた。死ぬかと思うことと、死のうかと思うこと。言葉尻は似ていても中身はまるで違う。私の持つ手綱では対岸の人の何をも繙けない。免罪符にするのは侮辱でさえある。一度後者に属した僕は、本当に死ぬまで、前者にはなれないのだ。

事故や災害、そういった不随意の、かつ突発的な死の重みを、いまのところ私は実感として得られていない。実体験として存在しないからそれは当然のことだ。悔いても仕方がないし、悔いるべきことでもない。一方、様々な媒体から私はそれを知識として理解してはいる。それら映像や書物などは、我々に警鐘を鳴らすように雄弁に、それでいて悲しみを溶かすように淑やかに語られていた。けれどもそれを輸入することは常に、宛ら別の言語を解読する試みだった。どれだけ私が歩もうとも、両者の乖離は、それを定量化してよいのならば、一定以上は縮まらない。この差を埋める言葉を私は持ち合わせていなかった。我が身の愚かさと分不相応な悲しみに、嗚咽しそうだった。

それでも私は緩やかな、或いは随意の死を幾度か経験してきた。してきてしまった。それは病気や自殺といったものだ。死に向かって漸進することを誰も止められない。そこには増幅し続けるだけの恐怖と悔恨、そしてわずかながらの諦念がいつもあった。そんなものに縋るしかない時もあった。本当は誰か、何かに縋りたかった。救われたかった。けれどもそんなものを武器にしてしまってはいけないという自戒や自責にも似た念いがそれを留めさせた。時計の針はゆっくり進んでいたし、感情は麻痺して起伏しなくなった。だがこれらも、前述の死に寄り添う理由としては足りなかった。溝を埋めるためのものが、かえってその深さ、果てしなさをはっきりと自覚させる強い根拠になってしまった。空が滲んで消えていくような鈍痛だけが残った。

この差を私は埋めたい。渡り合えるような橋を架けたい。翻訳できるような技法を確立するだけでも目下は構わない。悪い癖なのかもしれないけど、私には他者の負の感情を遍く受け止めたいという願望がある。死だけでなく、堕落や敗北、嫉妬や逃避に四半世紀を費やした身としては、その責任がある、そうせねばならないとすら思っている。それで我が身が破滅するならばそれでも、構わないと。なに、こんな言い草でも多少は素直になれた気がするのだ。ああでもない、こうでもないと模索しているうちに私は死んでしまうのだろう。知っているとも。それでも今のところは、これが私の生き方であり、曲げたくても曲げられないものなのだ。

熱湯で淹れた珈琲が熱くて飲めなかった。思わず遠ざけたそのグラスから飛び散った数滴を、私は泣きそうになりながら手で拭い去った。夜風を浴びようと家の外に出てみた。既に秋の涼しさを湛えた空は赤黄色に明るみ始めていて、私はその温かさに力を失い、膝から崩れ落ちた。