社会復帰概論

むずかしいです

「特別」

かつて、僕は目立ちたかった。
かつて、僕は特別でありたかった。
かつて、僕は完璧でありたかった。

いま、僕は目立たざるを得なくなった。
いま、僕は異常を手にした。
いま、僕は不随だらけになってしまった。


そんな惨めな、人間の出来損ないの痴話である。


前にも書いたけれど、僕は一歳とちょうど半年の日から弟の世話をする形で、自分を差し置いてまで誰かの機嫌をとる技術を体得してきた。そして小学校に入ってから、勉強が生半可にできた僕は、その技術と成績を組み合わせて、「立派な子供像」そのものを無意識になぞっていた。立派な息子、立派な生徒、立派な友達。なんでもござれだった。今考えれば、だから小中学校での友達関係は浅かったのかな、とか思ったりもする。とはいえ僕は間然されるところのあまりない完璧な生徒であり息子であった。途中からは完璧な介護者でもあった。ならばそれでいいのではないか、それこそが特別なのではないか、と思うかもしれない。けれど、僕は僕自身でその欺瞞に気付いているわけで、どうにもそれがやりきれなかった。
小学五年の頃だろうか、学年で臨海合宿があり、そこである友人が骨折をして途中で帰ってしまったことがあった。その友人は皆が合宿から帰ってきた場に顔を見せた。彼はとても心配されていた。とても多くの同級生に。それが何か腹の底に待ち針を打ったのを今でも覚えている。骨折がしたい、なんていう歪んだ思考に至ったりもした。そこには「本当の特別」があったのだ、と時間が経ってようやくわかった。僕はこれまで何度もそういう「本当の特別」に出会い、その度に出自不明の悔しさ、こう言ってよいのであれば、羨望に近い嫉妬のようなものを抱いた。僕の「偽物の特別」はどこまで進んでもどれだけ積んでも根底の部分でそれとは性質が違うから、それに辿り着くことはなかった。だけれど、遂に、僕にもその恵みが降ることがあった。
二年ほど前、人生において最深の悲しみや苦悩の連鎖のなかで精神科に赴いて、僕は先天的な脳障害を抱えていたことを知った。こう言うと重たい話なのだが、要するに僕はADHDであった。そう、僕だって生まれつきの、「障害者」という「本当の特別」があったのだ。だけど、要らなかった。そんな特別、まったくもって欲しくなかった。特別というより異常だ。個性ではなく障害だ。確かに生きづらかった諸原因に名前がついたことで腑には落ちたけれど、引き換えに僕は烙印を捺された。都会を歩くのが怖くなった。友達に会うことすら億劫になった。周りを歩く人間が「普通」で、僕の友達もみんな「普通」で、僕だけが「特別」だった。異常だった。あれだけ欲していた「本当の特別」が、僕にだけはスティグマの煮え湯を浴びせた。しかもその「特別」は、他人に迷惑ばかりかける代物らしい。そんな人間に生きてる価値があるのか、とか自問したりもした。自答は怖くてまだできないでいる。
僕は、この話を、僕が駄目人間であることの免罪符にしたいわけではない。寧ろあなたが僕との関わりを絶つための免罪符にしてくれればいいのだ。それでもこれからも宜しくお願いしたいのが本音だけど、それはただの僕の都合でしかない。異常者であることの自覚を踏まえて二年、どこまでが不随でどこからが努力不足なのかは正直まだ掴みきれていない。それを探るのにもかなり体力を使うから、ずっとはやってられない。一方で年齢は着実に重なっていって、「普通」との差は開いていく一方だ。また埋められない差の、異質の自覚に暫く悶えることになりそうだ。