狡い
以下は数週間前に残した私の手記である。
昨日の夜中過ぎ。
久しぶりの友達からの電話が鳴った。
(電話をくれた子とは別の)友達の訃報だった。
信じられない、と思いつつも動揺した。
一晩中動悸がした。
数時間前に通夜があった。
そんな形で友達と久しぶりに会うのが苦痛だった。
死んだ彼とも、通夜に一緒に向かった友達とも。
感情が一定の方向を向かない。
純粋な悲しみに溺れ、自らの非力を悔い、革靴で式に来なかった人に違和感を覚えた。
感情の整理もつかないであろうご家族を悼み、他の友達が悲しみだけに浸っているだろうことに敬服し、礼節を欠くことのないよう緊張した。
それでも、どうしても、安らかな彼の顔を見たとき、涙を止めることが出来なかった。いつも見ていたあの顔が、不自然な髪型で棺の中で眠っていた。本当に眠っていた。確かに眠ってはいたのだが、それは眠ってはいないのだった。僕は感謝の意を述べることしか出来なかった。疲れた彼を労う言葉を、僕は持ち合わせてはいなかった。
通夜が終わり、彼が自殺したであろうことを知った。そのときは驚き、また悔しかった。
人生で最もといえるほど濃い時間を共に過ごしたのに、僕、或いは僕らに何も言わずに彼は逝ってしまった。僕はなぜ気付いてあげられなかったのか。そんなことばかり考えた。
落ち着いた今でもその気持ちはある。大部分を占めている。悔しい。だが、そのときにはなかった別の感情も湧いた。狡い。何がそう思わせるのかはわからない。苦しみに耐えて生きている人がいるのに死を選んだことへの非難か。自分もそうしたいのに出来ないと思っていることを易々とやってのけたことへの羨望か。或いは自分の十字架を何人か、少なくとも僕に背負って生きていかせることができることへの嫉妬か。わからないが、ただ僕はそう思った。彼はずるいと。
彼の友人として通夜に参列していた人々は、いずれは日常へ帰るだろう。いずれは悲しみ終えるだろう。僕もそうかも知れない。それはとても怖いことだと、漠然と、思った。
告別式へ向かう駅で、向かいのホームを回送電車がゆっくり通過し、車庫へ入っていったのと入れ替わりに僕の乗る普通電車がホームに滑り込んできた。