社会復帰概論

むずかしいです

日本酒に託けて

バイト先の上司が携帯で取引先と何やら話をしている。その内容は発注ついでの世間話だし耳を傾けるまでもないんだが、ふと作業がてら目に留まったのが、彼が携帯越しにぺこぺこと頭を下げていたところだ。当然それは取引先の相手に向けたものなのだけど、真ん前の向きに僕がいたせいで、僕がへこへこ礼をされている気がして、ちょっとおもしろくなった。僕は上司よりえらいのだ!!!
と、余所見をしていると瓶を落として割りそうになってしまった。



さて、ブログを見ていると、今週のお題、というものがあった。ふむ。書けと言われたことを書くのもたまには悪くないのかも。と、その欄に指で触れる。

「お気に入りの飲み物」

というお題が表示された。ほう!天啓か!
たまたま初めて見たページにこんなことを言われては、語らずには居られまい。というわけでちょっとだけ、僕の「お気に入りの飲み物」、すなわち「日本酒」について駄目で冗長な文をば連ねようかと。



僕が日本酒を好きになったきっかけは、うまい日本酒を飲んだから、なのだが。周りの同い年の大学生が、カクテルの名前を覚えて大人ぶったり、ビールやチューハイを浴びるように飲んでぶっ潰れたりしている中で、なんでまた日本酒を飲もうと思ったのか。簡単な話だ。なんでもよかったのだ。彼らのような典型的な大学生で居たくなかったのだ。もっと言えば、彼らより大人ぶって居たかったのだろう。序でに言うと、僕は炭酸が苦手だった。あのしゅわしゅわが、口に、喉に、痛かったのだ。というわけで、僕は「いたかった」がために飲んでみた日本酒に惚れ入ることになり、あれこれ振り回されることにもなる。

まず、僕は日本酒に導かれた。
僕は、周りの大学生よろしく、将来何をしようか漠然としか見えていなかった。高校楽しかったし教師をしようか、学芸員資格を取って博物館で働こうか、事務職は嫌だなあ。などなど。
そうしてぷかぷかと大学に通ったり通わなかったりしている間に日本酒と出会い、その清冽で縹渺たる妙味に胸腔ごとぶち抜かれてしまった。

これを造るしかあらへんな。

それこそ天啓のごとく僕はそう閃いたしそれが畢生の任であろうと感じた。そうなりたいと強く志した。
まあだから、就活なりインターンなりをすごい悠長に捉えていると思われがちだけど、それはそうでもなくて、ただ進みたい業界が明確に決まっている、というだけの話だったりする。


それから、僕は日本酒に溺れた。
これは、すごく個人的で詰まらない話だろうけれど、大学に合格する少し前に、僕は母を喪った。その夏には入院していた友達のご家族と音信不通になった。それだけで僕は精神的にそれなりに参っていたんだけど、その翌年、大学2年になる春休みに僕は高校の頃の同級生を亡くした。自殺で。その影響で精神疾患に陥り、それと併せて発達障害の診断も受けてしまい、僕の精神は壊れるすんでのところにあった。ちょうどこの時期くらいに日本酒を飲み始めた僕は、将来的に導かれていながらも刹那的に廃れていった。
それこそ、浴びるように毎日日本酒を飲んだ。
「うまいから、飲みたいから飲んでるんだ」そう思いながら僕は酔いたくて飲んでいた。一日に一升弱飲んで家の中で1人でくたくたになることもままあった。誰にぶつけられるでもない疎外感、虚脱感、そうしたどす黒いもやもやがずっと胸の中にあって、それを晴らせずとも、曖昧にさせたくて、直視したくなくて、僕は文字通り溺れるほど酒に浸った。


それを救ってくれたのもまた日本酒が少し関わっている。(ここには詳しくは書かないけど、この時の僕を本当に救ってくれたのはやはり僕の友達だった。話を聞いてくれたり旅行したりしただけだったけど、それで僕は十二分に救われた。)
酒に浸り尽くして心身ともに創痍だらけになった頃、僕は酒蔵を訪ねることにした。ずっと日本酒のことは好きではあったので、それを見ていれば前を向けるかな、と思ったからである。そこで訪ねたとある酒蔵の取締役は、僕とほぼ同じ発達障害を抱えていた。そんな彼が一つの酒造会社を受け継ぎ、今もそれを支えているという事実そのものに僕は打ちひしがれた。打ちひしがれたからこそ、素直に、そこからの再起を誓えた。どれだけかかってもいいからきっとまともに、普通に生きてみせるとそう思えたのだ。


そんなこんながあって僕は今、日本酒に耽っている。穏やかに、されど建設的に日本酒に夢中になれている。テイスティングをしてみたり、人にお酒を勧めたり売ったりしてみたりすることはとても楽しい。

たかが酒、されど酒だ。人生を変える人との出会いを紡いでくれることなんてよくある話である。そんな酒を、好きな飲み物を僕はこれからも飲み続けていきたいし後世に知らしめていきたい。