社会復帰概論

むずかしいです

週記1 新生活の揺らぎ

みんなは中学校、それか高校の水泳の授業を覚えてたりするだろうか。僕らの影を真っ黒に切り出す凄烈な陽光。それで背を胸を灼きながら、こう言ってはなんだが、水遊びをしていたもんだ。夏の日、という感じでなんとも潔い。いっぽう僕は、曇りの日の方が好きだった。水泳の授業後の、体から漂う塩素の匂いと乾き切らない髪を、涼しげな風が一緒に撫ぜるのが好きだったのだ。今でも風呂上がりなんかたまに、ドライヤーをしないでいたくなるもんだ。やらないけど。

ところでこれは、銘打った通り「週記」である。日記の週単位といったところだ。毎週、見つけた面白い人とか面白いものとか、あと考えたこととかをつらつら書いていきたい。日本語もあえて思いついたものをそのままいじらず書いている。週末書くつもりで日々を暮らしていると、視野が勝手に広がるのがよい。一日いちにちが消費財じゃなくなるようで、なんとなく素敵じゃないだろうか?

そんなわけで早4月。旧暦なら夏である。日が射してさえいればなかなかに暖かく、暮らし向きの良い時期だ。そんなふうに気候は、僕の四月からの暮らしを後押ししてくれているんだけど、なかなか体がついてこない。慣れてきたのはそうなんだが、扱いきるには暫時を要しそうだ。程度の多寡はあれどみんなそうなんじゃないだろうか。そうに決まっている、と内心決めつけてしまっているのはなんだか早計だけど、もしそうでない人がいるなら、なんかこう、適応のコツとかそういうのを教えて欲しい。
具体的に言うと適度にさぼれないのがしんどいから、加減の仕方を教えて欲しいのだ。おそらく体質的なもんだけど、僕の持つ家電には個々にスイッチが付いていない。ブレーカーしかない。余分なところまでフル稼働させるか、一気に全部機能を停止させるかの二択しかとれない。だから頑張れる時は本当に無尽蔵に頑張れるのだけど、無理な時はとことん無理、という感じになる。
ここまでならまあまだマシなんだけど、問題はそのブレーカーのオンオフを自分で操れないところにある。勝手に電源が入ったまま落とせなかったり、反対に動かしたいのに動かせないということもままある。誰かに支配される身体というのは割と持て余してしまう。今はブレーカーが切れてしまったので、誰かに入れて欲しい所存だ。



あとこれは大変な余談だけど、人の感覚というのは得てして信用ならない。錯視だの幻聴だの、よくある話だろう。今僕はたしかに「三鷹」と聞いたはずだったんだけど、目の前の電光掲示板には「二鷹」と表示されている。なんだそれ初夢かよ、とか思いながらmとnなら聞き間違えなくもないか、などと不安になった。けれど少し待ってまた見てみると、流れた文字はしっかり「三鷹」と表示されていた。あれ?今度は見間違えか?と思って掲示板に意識を寄せる。右から滑り込んできたのはやはり「二鷹」だった。いよいよ混乱が膏肓に入ってきたなぁと思っていると、どこからともなく真ん中の三本目の横棒が現れたのだ。ただ電光掲示板が壊れていただけだった。肩から崩れそうになってしまったけど、まあ、そんな調子で週記もやっていけたらと思う。