社会復帰概論

むずかしいです

休憩中

一時間の休憩の間に吐ける言葉にどれだけの価値があるのか知らんが、頭を占めて仕方ないことがあったのでちょっと書き殴ってみる。

蚊が。飛んでいる。もうそんな季節になったということだろうか。気の早い蚊に目をつけられただけとか??刺されてみれば確かに昨日今日はとても暖かくなった気がしなくもないけど。勤務中に肌をぷつぷつ咬んでいくのはやめてほしい。

ふと思ったんだが、楽しいと嬉しいの違いは何だろうか。さっきまでそんなことをずっと片隅に置いたまま仕事をしていたので、料理の提供の時には躓きそうになるし、部屋の清掃の邪魔をしてくるしで途方に暮れていたのだ。しばし前にふと思い当たった考えは「時間の幅の長さ」だ。なのかなあ、くらいのもんだけど。
アーティストのライブは「楽しい」けど、アーティストに会えたら「嬉しい」だろう。友達と過ごす時間は「楽しい」けど、友達と何か偶然に同じタイミングで同じことを口走った時は、それは「嬉しい」のような気がする。みんなはどう思うだろうか。なんとなく聞かせてほしい。

あと、労働を行った経験がある人なら誰しも思い当たる節があると思うのだけれど、店員と客の関係は希薄だ。
それでも、さっきすれ違った人とか、たまたま電車で隣に座った人とか、そんな行き摺りの人々よりはまだちょっと深い関係性があってもいいようなもんだけど、僕が感じる限り両者を同等に扱ってる人は間々いるし、なんなら無意識的にストレス発散の捌け口にしているであろう人もそれなりの数いる。だからこそ優しい反応が返ってきたり温かみのある迎え入れ方をされるとそれは「嬉しい」のだけれど。そうじゃない反応をされたときに、「身内にしか優しくできない人間は嫌だな」とおもってしまったりする。…………と、ここでふと自らぶつかったのだけれど、僕はそういう人間じゃないと言えるのだろうか。遠くの隣人を前にして目の前の他人に手を差し伸べる優しさ、むしろ余裕を僕は持ち合わせているだろうか。とは言ったけれども、身内に優しくなるのは当たり前な気もしている。んーーーこれまたわからない。個々人による線引きの位置の違いとかなのだろうか。店員を行き摺りの人と言って仕舞えばまあ確かにそうなのかもしれないし。これも誰かにどう考えるか聞いてみたいものだ。