社会復帰概論

むずかしいです

休憩中

一時間の休憩の間に吐ける言葉にどれだけの価値があるのか知らんが、頭を占めて仕方ないことがあったのでちょっと書き殴ってみる。

蚊が。飛んでいる。もうそんな季節になったということだろうか。気の早い蚊に目をつけられただけとか??刺されてみれば確かに昨日今日はとても暖かくなった気がしなくもないけど。勤務中に肌をぷつぷつ咬んでいくのはやめてほしい。

ふと思ったんだが、楽しいと嬉しいの違いは何だろうか。さっきまでそんなことをずっと片隅に置いたまま仕事をしていたので、料理の提供の時には躓きそうになるし、部屋の清掃の邪魔をしてくるしで途方に暮れていたのだ。しばし前にふと思い当たった考えは「時間の幅の長さ」だ。なのかなあ、くらいのもんだけど。
アーティストのライブは「楽しい」けど、アーティストに会えたら「嬉しい」だろう。友達と過ごす時間は「楽しい」けど、友達と何か偶然に同じタイミングで同じことを口走った時は、それは「嬉しい」のような気がする。みんなはどう思うだろうか。なんとなく聞かせてほしい。

あと、労働を行った経験がある人なら誰しも思い当たる節があると思うのだけれど、店員と客の関係は希薄だ。
それでも、さっきすれ違った人とか、たまたま電車で隣に座った人とか、そんな行き摺りの人々よりはまだちょっと深い関係性があってもいいようなもんだけど、僕が感じる限り両者を同等に扱ってる人は間々いるし、なんなら無意識的にストレス発散の捌け口にしているであろう人もそれなりの数いる。だからこそ優しい反応が返ってきたり温かみのある迎え入れ方をされるとそれは「嬉しい」のだけれど。そうじゃない反応をされたときに、「身内にしか優しくできない人間は嫌だな」とおもってしまったりする。…………と、ここでふと自らぶつかったのだけれど、僕はそういう人間じゃないと言えるのだろうか。遠くの隣人を前にして目の前の他人に手を差し伸べる優しさ、むしろ余裕を僕は持ち合わせているだろうか。とは言ったけれども、身内に優しくなるのは当たり前な気もしている。んーーーこれまたわからない。個々人による線引きの位置の違いとかなのだろうか。店員を行き摺りの人と言って仕舞えばまあ確かにそうなのかもしれないし。これも誰かにどう考えるか聞いてみたいものだ。

週記1 新生活の揺らぎ

みんなは中学校、それか高校の水泳の授業を覚えてたりするだろうか。僕らの影を真っ黒に切り出す凄烈な陽光。それで背を胸を灼きながら、こう言ってはなんだが、水遊びをしていたもんだ。夏の日、という感じでなんとも潔い。いっぽう僕は、曇りの日の方が好きだった。水泳の授業後の、体から漂う塩素の匂いと乾き切らない髪を、涼しげな風が一緒に撫ぜるのが好きだったのだ。今でも風呂上がりなんかたまに、ドライヤーをしないでいたくなるもんだ。やらないけど。

ところでこれは、銘打った通り「週記」である。日記の週単位といったところだ。毎週、見つけた面白い人とか面白いものとか、あと考えたこととかをつらつら書いていきたい。日本語もあえて思いついたものをそのままいじらず書いている。週末書くつもりで日々を暮らしていると、視野が勝手に広がるのがよい。一日いちにちが消費財じゃなくなるようで、なんとなく素敵じゃないだろうか?

そんなわけで早4月。旧暦なら夏である。日が射してさえいればなかなかに暖かく、暮らし向きの良い時期だ。そんなふうに気候は、僕の四月からの暮らしを後押ししてくれているんだけど、なかなか体がついてこない。慣れてきたのはそうなんだが、扱いきるには暫時を要しそうだ。程度の多寡はあれどみんなそうなんじゃないだろうか。そうに決まっている、と内心決めつけてしまっているのはなんだか早計だけど、もしそうでない人がいるなら、なんかこう、適応のコツとかそういうのを教えて欲しい。
具体的に言うと適度にさぼれないのがしんどいから、加減の仕方を教えて欲しいのだ。おそらく体質的なもんだけど、僕の持つ家電には個々にスイッチが付いていない。ブレーカーしかない。余分なところまでフル稼働させるか、一気に全部機能を停止させるかの二択しかとれない。だから頑張れる時は本当に無尽蔵に頑張れるのだけど、無理な時はとことん無理、という感じになる。
ここまでならまあまだマシなんだけど、問題はそのブレーカーのオンオフを自分で操れないところにある。勝手に電源が入ったまま落とせなかったり、反対に動かしたいのに動かせないということもままある。誰かに支配される身体というのは割と持て余してしまう。今はブレーカーが切れてしまったので、誰かに入れて欲しい所存だ。



あとこれは大変な余談だけど、人の感覚というのは得てして信用ならない。錯視だの幻聴だの、よくある話だろう。今僕はたしかに「三鷹」と聞いたはずだったんだけど、目の前の電光掲示板には「二鷹」と表示されている。なんだそれ初夢かよ、とか思いながらmとnなら聞き間違えなくもないか、などと不安になった。けれど少し待ってまた見てみると、流れた文字はしっかり「三鷹」と表示されていた。あれ?今度は見間違えか?と思って掲示板に意識を寄せる。右から滑り込んできたのはやはり「二鷹」だった。いよいよ混乱が膏肓に入ってきたなぁと思っていると、どこからともなく真ん中の三本目の横棒が現れたのだ。ただ電光掲示板が壊れていただけだった。肩から崩れそうになってしまったけど、まあ、そんな調子で週記もやっていけたらと思う。

日本酒に託けて

バイト先の上司が携帯で取引先と何やら話をしている。その内容は発注ついでの世間話だし耳を傾けるまでもないんだが、ふと作業がてら目に留まったのが、彼が携帯越しにぺこぺこと頭を下げていたところだ。当然それは取引先の相手に向けたものなのだけど、真ん前の向きに僕がいたせいで、僕がへこへこ礼をされている気がして、ちょっとおもしろくなった。僕は上司よりえらいのだ!!!
と、余所見をしていると瓶を落として割りそうになってしまった。



さて、ブログを見ていると、今週のお題、というものがあった。ふむ。書けと言われたことを書くのもたまには悪くないのかも。と、その欄に指で触れる。

「お気に入りの飲み物」

というお題が表示された。ほう!天啓か!
たまたま初めて見たページにこんなことを言われては、語らずには居られまい。というわけでちょっとだけ、僕の「お気に入りの飲み物」、すなわち「日本酒」について駄目で冗長な文をば連ねようかと。



僕が日本酒を好きになったきっかけは、うまい日本酒を飲んだから、なのだが。周りの同い年の大学生が、カクテルの名前を覚えて大人ぶったり、ビールやチューハイを浴びるように飲んでぶっ潰れたりしている中で、なんでまた日本酒を飲もうと思ったのか。簡単な話だ。なんでもよかったのだ。彼らのような典型的な大学生で居たくなかったのだ。もっと言えば、彼らより大人ぶって居たかったのだろう。序でに言うと、僕は炭酸が苦手だった。あのしゅわしゅわが、口に、喉に、痛かったのだ。というわけで、僕は「いたかった」がために飲んでみた日本酒に惚れ入ることになり、あれこれ振り回されることにもなる。

まず、僕は日本酒に導かれた。
僕は、周りの大学生よろしく、将来何をしようか漠然としか見えていなかった。高校楽しかったし教師をしようか、学芸員資格を取って博物館で働こうか、事務職は嫌だなあ。などなど。
そうしてぷかぷかと大学に通ったり通わなかったりしている間に日本酒と出会い、その清冽で縹渺たる妙味に胸腔ごとぶち抜かれてしまった。

これを造るしかあらへんな。

それこそ天啓のごとく僕はそう閃いたしそれが畢生の任であろうと感じた。そうなりたいと強く志した。
まあだから、就活なりインターンなりをすごい悠長に捉えていると思われがちだけど、それはそうでもなくて、ただ進みたい業界が明確に決まっている、というだけの話だったりする。


それから、僕は日本酒に溺れた。
これは、すごく個人的で詰まらない話だろうけれど、大学に合格する少し前に、僕は母を喪った。その夏には入院していた友達のご家族と音信不通になった。それだけで僕は精神的にそれなりに参っていたんだけど、その翌年、大学2年になる春休みに僕は高校の頃の同級生を亡くした。自殺で。その影響で精神疾患に陥り、それと併せて発達障害の診断も受けてしまい、僕の精神は壊れるすんでのところにあった。ちょうどこの時期くらいに日本酒を飲み始めた僕は、将来的に導かれていながらも刹那的に廃れていった。
それこそ、浴びるように毎日日本酒を飲んだ。
「うまいから、飲みたいから飲んでるんだ」そう思いながら僕は酔いたくて飲んでいた。一日に一升弱飲んで家の中で1人でくたくたになることもままあった。誰にぶつけられるでもない疎外感、虚脱感、そうしたどす黒いもやもやがずっと胸の中にあって、それを晴らせずとも、曖昧にさせたくて、直視したくなくて、僕は文字通り溺れるほど酒に浸った。


それを救ってくれたのもまた日本酒が少し関わっている。(ここには詳しくは書かないけど、この時の僕を本当に救ってくれたのはやはり僕の友達だった。話を聞いてくれたり旅行したりしただけだったけど、それで僕は十二分に救われた。)
酒に浸り尽くして心身ともに創痍だらけになった頃、僕は酒蔵を訪ねることにした。ずっと日本酒のことは好きではあったので、それを見ていれば前を向けるかな、と思ったからである。そこで訪ねたとある酒蔵の取締役は、僕とほぼ同じ発達障害を抱えていた。そんな彼が一つの酒造会社を受け継ぎ、今もそれを支えているという事実そのものに僕は打ちひしがれた。打ちひしがれたからこそ、素直に、そこからの再起を誓えた。どれだけかかってもいいからきっとまともに、普通に生きてみせるとそう思えたのだ。


そんなこんながあって僕は今、日本酒に耽っている。穏やかに、されど建設的に日本酒に夢中になれている。テイスティングをしてみたり、人にお酒を勧めたり売ったりしてみたりすることはとても楽しい。

たかが酒、されど酒だ。人生を変える人との出会いを紡いでくれることなんてよくある話である。そんな酒を、好きな飲み物を僕はこれからも飲み続けていきたいし後世に知らしめていきたい。

午前(中目黒)

ぷわぷわと、うーん、いや、ぽやぽやと?
そんな午前を送っている、中目黒で。

僕は喫茶店珈琲店みたいな場所がとても好きだ。
あたふたと、日常を、過ごせば過ごすほど、この浮っついた時間が愛おしい。

眼下に、目黒川と桜並木。ふむ、春だなあ。長閑……。

あ、あの一人だけむっ!と飛び出ているビルは何のビルだろう?地図を見ると渋谷の方向らしい。東京の地理って難しいなあ。

ウガンダ産の豆から挽いた珈琲を飲む。グアテマラ産、グラビタス産……?グラビタス…というのは地名なんやろうか。

ちょっとだけ、頭が痛い。ぼうっとする。

ロースタリーのお姉さんに話しかけられた。珈琲のことがよくわからなかったのであれこれ聞いてみた。お姉さんはウガンダ産の珈琲が好きらしい。僕もやで。

徐に円城塔先生の書いた本を手にとって数行読んでみる。んん。何を書いてあるんだろう…。

向かいのお姉さんたち湖西線、とか言ってる。お姉さんらも関西から来たんやな。

あ。11時だ。

煙草

いけないこと、というのは総じてやりたいことなのだ。謂わば禁断の果実。もともと楽しいことが、背徳感という鋭利な刃物を得て僕の心を貫く。動脈から吹くように血を流す僕はその情欲に逆らうことはできず、静かに失楽園を迎えるのみである。

……、などと大袈裟に宣ってはみたが、其の実簡単な話だ。みんなにも、特にちっちゃな頃の思い出として心当たりがあるんじゃないか。触ってはいけないものを触った。受話器やリモコンやその他諸々を食べようとした。まあなんていうか、そんな話だ。


3月の頭に行ったサークルの同回生旅行の宿は山口で取られた。厳島神社に行った後で。秋芳洞をくぐった前か後かは忘れた。とにかく山口の川沿いにある宿に泊まったのだ。レクリエーションを久方振りにやって、10人程度で大騒ぎした。あれは楽しかった。楽しい時間というのは得てしてすぐ過ぎるもので、早々と、とはいえ2時過ぎに、周りのみんなは寝てしまった。僕はこういうときどうしても寝られず、また寝たくなくなる性分なので、いつも旅館の端のスペースなんかで寛いでいたりする。この日はなんだかひさびさに、悪いことがしたくなった。僕は、宿を出ることにした。というのも、宿の目と鼻の先に錦帯橋があったのだ。それを見ずにはおけなかった。それと、僕はもっと悪いことをするために、浴衣の袖の袂にライターと煙草を潜ませて部屋を出た。本当に僕は悪い人間だ。むくむくと膨れ上がる勇気に支配され、僕はどんどん悪くなってゆく。ふふ、僕は最強だ。

館内用のスリッパを履いてエレベーターで7階から下まで降りる。窓から錦帯橋が見えるそうだが、僕はあえて見ないようにした。最強だったはずだが、なぜか体が勝手に動いた。エレベーターを降りると、フロントがぼんやりと光を湛えているのが漏れてくる。電球の暖色が眩しい。一歩絨毯に踏み出して、僕は今自分がスリッパを履いたままであることに気づいた。ああ、部屋に戻らないと、と踵を返しかけて、思い直した。僕は裸足で外へ出ることにした。時期はまだ暖かいとはいえなかったし、何より車道を歩くことになるはずなのでまあ痛かろう。だが、僕はもう膨らみきった僕の風船の紐をすら摑むことはできなかった。その風船はゆらゆらと、しかし悠然と歩を進めてゆく。二重の自動ドアが一枚開き、また一枚開いた。白以外の絵の具を全部混ぜたような色の街並みに、穏やかに川の匂いを運んで肌を撫ぜる夜風が涼しい。磯の香りはしない。そりゃ目の前が海ではなくて川なので当たり前なのだが、僕はこの時たしかに、磯の匂いがしないな、と思った。車道は、思ったより痛かった。でも、思ったより歩きやすかった。心の風船が赴くまま、錦帯橋の袂に着いた。昼間なら入場料が取られているらしいが、刹那ののち僕は無視した。橋は微暖かく、すぐに僕は五橋の真ん中にたどり着く。袂に忍ばせた煙草を取り出す。さっきより少し逡巡し、やはり僕はそれを咥え、火を点けた。アークロイヤルの甘い香りが口と肺を満たす。丑三つ時の深い闇のカンヴァスに、河岸の灯籠の電燈色が描かれ、その隣で煙草の火が榮として灯り、煙が所在無さげに揺蕩った。その不安そうな姿を見て、釣られて僕も少し弱気になった。友達のいるあの宿の7階のあの部屋に戻りたくなった。盈々と、濫々と流れる錦川に滑り落ちそうになったのを彼らが引っ張り揚げてくれたようだ。僕はそそくさと錦帯橋を後にした。

橋を降りると、歩道ですら痛くてまともに歩けそうではなかった。近くの石の椅子に腰を下ろす。浴衣を通り越して石の冷たさがしんと伝わる。ここにいるとなんだか心まで冷たくなってきそうだった。もう一本だけ煙草を吸ってから、なけなしの勇気を振り絞って僕は車道を渡り、ドアを二枚開けて絨毯のある館内へ戻った。気を利かせてくださったフロントの方が入り口にスリッパを用意してくれていた。慌ててカウンターのほうを見てしまった僕は、フロントの方に微笑まれてしまった。弱気になり尽くしてしまっていた僕はすっかり恥ずかしい思いになって、暖かい7階の部屋に駆け足で帰るのだった。

城崎に旅する記

僕は小説を読むのが好きだ。旅行記のようなものはとりわけ好みである。作者自身の世界と、その人の作品中の世界との境目が曖昧になるからだ。そういう本を読んでいると、知らず主人公に自身を投影してしまったりして、それもまたおもしろい。自分の世界と作者のそれとの境界も融けだすのかも知れない。


そういうわけで僕は、友達との旅行先に迷わず城崎を選んだ。小説家と温泉地というのは大抵何某か繋がりがあるものだが、ここ城崎もまたそうであったからだ。

かの文豪、志賀直哉の『城の崎にて』はこうして始まる。

「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」

城崎は電車に轢かれた人を快復させる地なのだ。僕の日頃の瑣末な草臥など、それこそ臥された草の如く押し潰されてしまうに違いないのである。ここを差し置いて他に訪ねる場所はなかろう。


いよいよ出立の朝、僕は姫路の駅で降りた。連れ立つ友人を拾うためである。姫路から定刻通りの特急列車に乗り、北へと向かう。余談だが、僕は「旅」というものをしたいとき毎度列車に乗る。旅情というものを感じるには列車で移動するのがいちばんよい。車は自分で運転せねばならないし、バスは些か窮屈であるし、飛行機は僕には少し速すぎる。自分の歩調とちょうどよく調和してくれるのが鉄道旅行なのである。

特急列車は少し古い型なのか、轟々と動力音を立てながら山や田園のなかをくぐり抜けて行く。まるで繁華街の人混みを掻き分け掻き分け進む小さな子供のようで、不安半分応援半分といった気持ちだ。浮足立っていると、列車は三時間半の仕事を終えて城崎温泉駅に着いた。鞄を座席に引っかけてしまってあたふたしたまま列車を降りる。駅前には、小さなロータリーに旅館のバスや路線バスが停まっており、或いは今宵の客人を、或いは見知った隣人を運ぼうと血気盛んである。温泉街、というのは不思議なもので、実際は旅行しに出てきているのだけれども、何かから解放され帰ってきたかのような錯覚を催す。実家に帰省しているような感覚、といえば耳触りがよいだろうか。城崎には初めて来たのだけれど、ここもやはり「帰ってきた感覚」というものを感じずにはおかせなかった。

帰郷の念に身を任せながら、宿まで城崎の街並みを歩く。目抜の広小路は瓦造りの日本の家というふうな外観の店が軒を連ね、時折木造のものも顔を覗かせる。趣があるにはあるが、観光地然としていてあまり落ち着かない。道端で油を売っては先へ進んでいくと、かの有名な大谿川に掛かる太鼓橋が見えてきた。さて左方には柳並木である。かつて倉敷の河畔でも見たけれども、やはり河畔の柳、その鮮やかな青と蒼。もっと言うなら空も碧く澄んでおり、僕はそれに気分を良くしてすぐ側の宿へ滑らせるように爪先を向けた。

これまた話を逸らしてすまないが、旅をするときはホテルではなく旅館に泊まることを勧める。部屋の戸を閉めるまで、宿主と互いに気を遣い遣われするのがなんとも日本で休んでいるという感じがして心地良い。そんな旅館の一部屋にとりあえず荷物を置き、僕らは浴衣に着替えて外へ出た。城崎温泉の七つの外湯をめぐるためだ。浴衣に下駄はその正装である。きちんと着なければならない。

僕らは初めに目の前の『地蔵湯』へ向かった。入口には灯籠が立っており、古くからあるような風情を湛えるが、ふと見上げると六角形の窓がちらちら付いた近代的な建物になっていて少々面食らった。中も一般の銭湯のイメージに近い。日頃の疲弊や故障、体に巣食う悪鬼を、急須に茶葉の要領で抽出してもらう。こんなにも僕は疲れていたのか、と思うほどに動けなくなる。心做しか肩や首が軽くなった気もする。邪魔なものは全てお湯が溶かし出してくれたらしい。あんまり逆上せても嫌なので僕らはそそくさと宿へ戻った。

逆上せたくなかった理由は夕飯にある。城崎温泉といえばカニ!これを待っていたのだ。半ばカニを目的に来たといっても過言ではないかもしれないが、そこはそれ。湯治なのだから贅を惜しむ隙はない。目の前にカニ刺しが運ばれてくる。頭の中まで蕩かされそうになりながら、ふわふわとこれからのことに思いが至った。学業にしても就職にしても何も指針が立っていないけど大丈夫なのだろうか。少し頭をねじってみたが、なにせ頭がふわふわとしていたのでそれから先には進めなかった。カニしゃぶと焼きガニが並ぶ。個人的には刺身が一番好みだったので、しゃぶしゃぶ用に、と運ばれたカニを幾らかそのまま頬張ってしまった。カニ側も不本意かもしれないが、相手が悪かったようだ。

夕飯を済ませたあと、僕らはもう一度外湯に出かけ、宿に戻って酒を呷った。友人は先にさっさと倒れてしまったのでひとりである。酔った頭でぼうっと何かを考えていた気がしたが、知らぬ間に僕も眠ってしまっていた。
次の日、酔いも目も覚めやらぬままに少し足を延ばして、『一の湯』へと向かった。薄縹の空に白い太陽の光が眩しい。昔懐かしい地元の銭湯という感じの外観を呈しており、中には洞窟風呂と呼ばれる頭上まで岩に覆われた露天(露岩?)風呂がある。湯に浸かると、皮膚の内側まで湯が沁みてくるようで、直接撫ぜられた神経がぴりっと起きてくるのが感じられる。お湯に浸けっぱなしだった手をふと引き揚げる。その手は皺だらけでまるで老人のようだ。僕は僕の手がこんなになるまで果たして生きていられるのだろうか。生きていられるとして何をしよう。何ができよう。考え始めるときりがなかった。すると遠くから、もう上がろう、と声がした。その友人の声は頭の中で跳ね返り反芻され、エンターキーが甲高く音を立てるように何かにぶつかり、弾けた。あぁ、もう何も考えなくて良いのだ。暫くは刹那的に、享楽的に生きよう。ふと、そう思った。それが正解だとも思った。

お湯から上がり、装いを整えて帰路につく。くだらぬ男ひとりのくたびれを、この地はやはり隈なく取り除いてくれた。行きしなとは別の特急列車が滑らかに入線してきたので、僕は意気揚々と乗り込み、穏やかに列車は城崎を発った。

帰り道

神戸の街には縦に横にとバスがあれこれ走っている。海沿いから北に上ればすぐ山になるので坂が多いのだ。バイト先の目の前にもバス停があるのだけれど、1時間に1本来るかどうかという寂しさなので、僕は普段最寄りの駅まで歩いて帰っている。

今日も、バスを待つのが億劫なのと、運動がてらで駅まで歩いている。心身が最近ふらふらと手元を離れていたせいもあってか、僕はしばらく茫漠としたままただ歩いている。
…………。
ふと、高い明るい声が耳に届き、その主を探して前を向く。あ、夕焼けや。春やなあ。声の色も何処か夕焼けみたいや。橙と、それに掛かる淡い水の色。声の方に向き直ると、小学校に入学しているかどうかといった年齢の子供達が、彼らの根城であろうマンションの入り口で遊んでいる。何をしてんねやろう?ただ走り回っているだけのように見える。ただ、なぜかその一帯には夕陽が他より明るく射している。あー、僕も昔はあれくらい無邪気やったっけ。そうこうしている間に暫くの間取られてしまった気を自分のところへ持って帰ってくると、なんとなくはっとして視界が広がる。僕より30分遅れてバイト先を出たはずの17系統に追い抜かれる。そのバスは4系統とすれ違い、視界の右端には11系統と13系統が見える。神戸の街では本当にバスがあちらこちらで駆けている。

そのまま駅まで歩いていると、近くのコンビニで買ったらしい弁当を矢鱈と傾けて持つ青年が目に留まる。不思議とレジ袋の中はぐしゃぐしゃになっていない。偶然か……、もしや或いはその道の達人か?その真相は本人にしかわからない。もしかすると本人にだってわからないかもしれない。彼は弁当を同じ角度で傾けたまま青に変わった信号を器用に渡っていく。
達人が弁当を買ったであろうコンビニを眼前に構えたその時、またもや不思議なものが目に入る。店員の女性が缶ビールの中身だけを溝に捨てている。これは謎だ。商品の廃棄だとしてもコンビニの真ん前で捨てはしないだろうし、でなければ何の謂れで缶ビールが捨てられなければならないのかとんと見当がつかない。休憩中にお姉さんが飲んでたんやろか。そう考えるとお姉さんの顔がちょっぴり紅く見える。でもそれならここはいい職場やないか。次のバイト先はここにしようかなぁ。と思ってすぐやめる。

缶ビールの謎を頭がくるくる回している間も脚は休まず働いてくれていたようで、周りを見るとすでに駅前の商店街である。遠くに道路を跨ぐ大きな赤い鳥居が見える。僕はここのコロッケ屋、ひいてはそもそもコロッケ屋というものにずっと疑問を抱いている。安い。安すぎるのだ。60円でコロッケが買えてしまうのだ。それにここのコロッケは具が詰まっていてなかなかにいける。二個は食べられないくらいだ。そんな贅沢な代物が100円もしないなんて……。売れ残って赤字だとか、原価割れだとかになってないだろうか。甚だ心配である。

やっとの事で駅まで帰ってきた。ふと鼻に引っかかる、覚えのある煙の匂いに眼を向けると、地下の駅に潜る入口の手前で誰かが煙草を吸っている。路上で煙草が吸える街は良い。路上で吸うと、何と言おうか、時間を操っているような気分になる。血が頭に回ってないとかそういうのではない。ひとりだけ、ゆっくりと街を闊歩している気分になるのだ。
せっかく時の旅人がすぐそこにおるんや。僕も一服してから電車に乗って帰ろかな。